Sunday, February 27, 2022

黃英

 

11-02黃英

【原文】維基文庫

【訳文】寄暢園(話梅子訳「菊花」

菊花(前編)


天(注:現在の北京)の人、馬子才は菊好きで知られていた。世間にも菊好きはごまんといたが、彼の菊好きは並外れていた。よい菊があると聞けば、たとえ千里の彼方でも買いに駆けつけるほどであった。

ある日、子才の家に滞在していた金陵(注:現在の南京)からの客人が、従兄弟の家に北方にはない菊が一、二種あったはずだ、と言った。これを聞いた子 才、いても立ってもいられず、早速旅支度を整えると、その客人について金陵にまで出向くことにした。金陵ではその人が方々手を尽くしてくれたおかげで、珍種を二株ほど入手することができた。まるで宝物を得たかのように大事にしまい込み、帰途についたのであった。その途中、幌馬車の一行と出会った。一行といっても驢馬に跨った青年が一人と、その前を行く幌(ほろ)馬車一台だけである。青年の瀟洒(しょうしゃ)な雰囲気を好ましく思った子才は追いかけて声をかけてみた。青年は快く応じ、「陶姓の者です」と名乗った。陶青年の話しぶりはまことに爽やかであった。子才が金陵へ菊を買いに行って戻る途中だと言うと、青年は、「菊は種の良し悪しではなく、ようは育て方次第ですよ」と笑った。これをきっかけに二人は意気投合し、菊の栽培法について語り合った。子才は同好の士を得たと嬉しくなり、どこへ行くのかとたずねてみた。「姉が金陵にいるのを嫌がるので、北へ行くところです」「住む所はお決まりですか」。「いえ、まだ。行けば何とかなるとは思うのですが」それを聞いて子才はますます嬉しくなった。「なら、うちへいらっしゃい。私のうちは順天にあるんですよ。あばら家ではありますが、お泊めするくらいできます。ねえ、どうでしょう。そうすれば、家を探す手間もはぶけるというものでしょう」。陶青年は驢馬を幌馬車に寄せて、「姉さん」と声をかけた。すると簾(すだれ)が掲げられて、二十歳くらいの絶世の美女が顔をのぞかせた。陶青年が子才の話をすると、「家は粗末でもいいの。庭さえ広ければ」と答えた。それを聞いた子才がすかさず、「庭なら広いです」と口を挟むと、美女はニッコリと微笑んで簾を下ろした。こうして子才は陶青年とその姉を連れて帰ることになった。子才は順天に戻ると、屋敷の南のはずれの小さな離れを陶青年に提供した。三、四部屋しかないあばら家ではあったが、北側が広い庭に面していた ため、陶青年と姉は喜んでそこに住んだ。

以来、陶青年は毎日、庭に出ては子才の菊作りを手伝うようになったのだが、不思議なことに枯れた菊を陶青年が根ごと引き抜いて植えかえると、必ず息を吹き返すのであった。陶青年は菊作りにこれだけ卓越した技量を持ちながらも、その生活ぶりは清貧そのもので、いつも子才の家で飲み食いしていた。察するに煮炊きをほとんどしていないように見受けられた。子才の妻の呂氏も陶青年の姉に好意を抱き、何かと生活の面倒を見てやっていた。姉は黄英といい、話好きでしばしば呂氏の所に来ては、縫い物や糸紡ぎをして過ごした。そんなある日、陶青年がこんなことを言い出した。「お宅もあまり生活が楽ではないご様子。こうして毎日、食べさせていただいてはご迷惑をおかけするだけでしょう。これからは菊を売って暮らしを立てていくつもりです」。子才は菊を売ると聞いて不快感を隠せなかった。陶青年は子才の立腹など気にもとめない様子で笑って言った。「私は君を風雅な人物であえて清貧に甘んじていると思っていたのに。菊を売ろうだなんて…。菊に対する冒涜(ぼうとく)じゃないか」
「自立して食べていくだけです。貪欲なわけでもありますまい。それに花を売ることは卑俗なことではありませんよ。思いますに必要以上に富を求めるべきではないけれど、まあ、わざわざ貧しさを求める必要もないでしょう」しかし、子才はムッとしたまま返事をしなかった。このことがあってからも陶青年は変わりなく子才のもとを訪れては菊作りを手伝った。ただ、子才の捨てた枝や間引いた苗を拾って持って帰るようになった。以前のように子才のもとで食事を済ませるようなことはなくなったが、招けば喜んでやって来た。やがて菊の季節がめぐってきた。子才は陶青年の家の前が騒がしいのに気がつき、のぞきに行って驚いた。

菊花(中編)

何とそこにはものすごい人だかりができていた。皆、菊を買いに来ているのである。それぞれ買い求めた菊を車に載せたり、肩に担いだりしてひっきりなしに行き交っていた。その菊はどれも珍しい種類で、さすがの子才もまだ見たことのないものばかりであった。陶青年はこれだけの珍種を持ちながら、今まで隠していたのである。あんなによくしてやったのに…。「何たる俗物!」すべては金のためかと思うと、子才は腹立たしさがこみ上げてきた。「二度と口なんてきくものか!!」そう決意した。

それから二日たち、三日がたった。最初の決意はどこへやら、子才は陶青年の持つ菊の珍種が気になって仕方がなくなっていた。そこで、訪ねてみることにした。といっても庭を横切るだけだったのだが。
陶青年の方は何の屈託も見せず、以前と同様に子才を迎え入れた。見れば離れの周囲は一面の菊畑になっており、それこそ足の踏み場もないほどであった。どれも珍しく美しいものばかりであったが、よくよく見ると自分が以前、抜き捨てたものであった。陶青年は酒の用意をすると、菊畑の隣に席を設けて言った。「僕は貧しさゆえに、清貧を守ることができませんでした。しかし、幸い菊が売れてわずかながら蓄えもでき、こうして盃を献じることもできるようになりました」こうして菊を眺めながら、ちびりちびりと酒を飲み始めたのだが、その時、離れから、「三郎」と呼ぶ声が聞こえた。陶青年は返事をして離れの中へ戻っていった。間もなく料理が並べられたのだが、どれも工夫をこらしたうまいものばかりで あった。「君のお姉さんは何でまだ結婚なさらないんです?」子才は以前から気になっていたことを口にしてみた。すると、陶青年が答えるには、「まだ時期が来ないんですよ」「時期って?」「四十三ヵ月後です」「それはどういうことです?」なおも問いかける子才に、陶青年は笑って見せるだけであった。その話はこれまでとなり、二人は菊と黄英の心づくしの料理を肴に心行くまで酒を酌み交わした。その翌日、子才が再び陶青年のもとを訪れると、昨日植えたばかりの菊がもう一尺余りも伸びていた。不思議に思った子才は特別な栽培法があるのなら教えてくれ、と懇願した。すると、陶青年は笑って、
「これは口で教えられることではないんですよ。まあ、あなたは暮らしのために菊を作っているわけではないのですから、必要ないでしょう」と教えてくれなかった。
 

数日もたって菊を求める客足が減ると、陶青年はむしろで菊を包み、車に載せて出かけていった。年末になっても戻らず、年を越し、春も半ばを過ぎた頃、ひょっこり戻ってきた。その車には南方の珍しい菊が満載されていた。陶青年が街中に花屋を開いてこの菊を並べたところ、十日ほどで売り切れてしまった。それからまた、菊作りに専念するようになった。以前、陶青年から菊を買った人は、その後もしばしば菊を買いに訪れた。子才が聞いたところによれば、陶青年の菊は根を残しておいて年を越させるとごく平凡な花しか咲かせなくなるので、また買いに来るのだそうである。こういうわけで、陶青年の暮らし振りは日ましに豊かになっていった。一年目には家を増築し、二年目には改築したのだが、家主である子才には何の相談もなかった。こうして家屋が段々に菊畑を侵蝕していくと、陶青年は新たに外に一区画の畑を購入し、四方を土手で囲んで菊を植えた。秋になると、陶青年はまた菊を車に積んで出かけていった。今回は翌年の春になっても戻ってこなかった。やがて、子才の妻の呂氏がふとした病がもとで身まかった。子才は黄英を後添いにと望んだ。そして、人づてに自分の気持ちを伝えさせたところ、黄英は微笑んでまんざらでもない様子であったらしい。ただ、陶青年が戻らないとどうにもならないので、その帰りが待たれた。しかし、一年たっても陶青年は戻ってこなかった。
 黄英は弟のことを気にかける風もなく、下男を使って菊作りを続けたのだが、その方法は弟と同じであった。段々に商売を広げ、村はずれに二十頃(注:当時の一頃は約614a)の良田を買い入れるまでになった。それにつれ、家屋敷もますます立派なものになっていった。

ある日、広東からの客が子才のもとを訪れ、陶青年の手紙を届けてきた。それには姉の黄英を後添いにもらってほしいと書いてあった。手紙の日付を指折り数えてみると、菊畑の隣で酒を飲んだ日からちょうど四十三ヶ月目に当っていた。

菊花(後編)
 

黄英を後添いに娶ったといっても、実際には子才が入り婿になったようなものであった。初め、黄英は子才を新たにその屋敷に隣接して建てた屋敷に住まわせようした。しかし、これには子才が承知しなかった。そこで黄英は屋敷の間に通路を作って、毎日、陶家の使用人を監督しに行くことにした。だからといって子才の気持ちがおさまったわけではなかった。彼は妻の方が金持ちであるのに引け目を感じ、陶家の物と馬家の物を区別する帳簿を作って管理しようとした。そうしないと男の沽券(こけん)にかかわるような気がしたのである。しかし、いつの間にかごっちゃになって、気がつけば身の回りの物はすべて陶家の物で占められているのであった。このことは子才を煩わせたが、黄英はまったく気にかけていない様子で、「頑固ねえ、少し気にしすぎじゃないかしら」。この言葉にハッとした子才はもうあまり気にかけないことにし、一切、黄英にまかせることにした。すると黄英は大規模な改築工事を始めて、陶家と馬家を棟続きにしてしまった。この頃には黄英は子才の意見を入れて、菊を売ることをやめていた のだが、それでも代々の金持ちに劣らない生活を維持していた。「三十年というもの清貧を旨に生活してきたのに、お前のために余計な気苦 労をさせられる。女房に食べさせてもらってるんだから、男としての面子も何もないよ。ああ、こんなことなら以前の貧乏暮らしの方がよほどましだなあ」。こうぼやく子才に黄英は、「私は何も欲張っているのではなくてよ。ただね、世間では菊愛好家は陶淵明の昔から貧乏だなんて失礼なことを言っているでしょう。まるで菊が貧乏神みたいじゃないの。だから、陶淵明さんの名誉のためにも、菊の名誉のためにもこうして蓄えを作っただけなのです。まあ、貧乏人が金持ちになるのは大変ですが、金持ちが貧乏になるのはわけもないこと。私のお金は好きなように使ってちょうだい。ちっとも惜しくなんてないわ」と気前のよいことを言った。しかし、子才がなおも、
「そう言われてもなあ…」と納得しない様子でいると、黄英は、
「あなたは金持ちでいたくない、私は私で貧乏はいや、これじゃあどうしようもないわ。仕方がないわ、別居しましょう。清いものは清いままで、濁ったものは濁ったままの方がいいのではなくって?」と決めてしまった。こうして子才は庭の一角に建てた茅葺の離れで、美しい婢女(はしため)にかしづかれて暮らすことになった。初めは子才もこの生活にホッとしたのだが、数日もすると黄英が恋しくてたまらない。好きだからこそ後添いに娶ったのである。そこで呼びにやるのだが、黄英が来ないので、結局自分の方から出向くしかなかった。そうこうするうちに夜は黄英のもとに泊まり、朝には離れに戻るようになった。黄英は子才を笑った。「とんだ清貧ね。食事はあちらで、寝るのはこちらだなんて」。子才も笑った。これをきっかけに別居をやめて、元通り一緒に暮らすことにした。

しばらくたって、子才は所用で金陵へ赴いた。ちょうど菊の季節であった。ある朝、花屋をのぞいてみると、見事な菊の鉢植えが並んでいる。思わず菊愛好家の血が騒いだ。そこでいくつか物色していたのだが、どうも陶青年の育てていた菊と似ている。不思議に思っているところへ、店の主人が出てきた。果たして陶青年であった。思わぬ再会に二人は大喜びで、別れて以来の話で盛り上がった。尽きぬ話にその夜は陶青年の家に泊まった。翌日、子才が順天に一緒に帰ろうと言うと、陶青年は、「金陵は私の故郷なんですよ。ここで結婚するつもりです。わずかながら蓄えもできましたので、お手数ですが姉に渡してやって下さい。年末になったら伺いますよ」と言う。しかし、子才は引き下がらない。
「あのおかげでうちの方もかなり楽になって、悠悠自適の生活が送れるようになった。これ以上、商いをする必要もないじゃないか」。そう言うと、店の下男に勝手に値段を決めさせて菊の大安売りを始めた。おかげで数日のうちに菊はすべて売り切れた。子才は陶青年をせき立てて店をたたませ、舟を雇うと順天への帰途についた。家に戻ってみると、黄英は離れをとり片付けて待っていた。まるで弟の帰宅を知っていたかのようであった。

順天に戻ってからの陶青年は、人を雇って庭の大改修を行ったが、あとは子才とともに酒を飲んだり、将棋を打つなどして過ごし、他の人と付き合うこともなかった。陶青年に結婚を勧めてみたが、その気はないというので下女を二人つけてやった。三、四年たって、下女の一人に女の子が生まれた。陶青年は酒豪であったが、一度も酔いつぶれたことがなかった。ある時、子才の友人の曽生が訪ねてきた。この曽生、酒に関しては敵う相手がいないほどの豪の者であったので、子才は陶青年に引き合わせ、飲み比べをさせることにした。二人は思う存分飲み、大いに意気投合し、なぜもっと早くに知り合えなかったのかと残念がった。朝から夜中まで飲み続け、銚子にして百本あまりも空にした。さすがの曽生も酔いつぶれて、その場で寝込んでしまった。陶青年の方はふらつく足取りで立ち上がると寝に戻ろうと歩き出した。しかし、門を出て菊畑に足を踏み入れた途端、ぐらりとその体が倒れた。かと思うと、そのまま一本の菊になってしまった。着物はそのそばに脱ぎ捨ててあった。菊は人間の背丈ほどで、拳ほどの大きさの花を十余りもつけていた。仰天した子才は、黄英のもとに飛んでいった。黄英は急ぎ駆けつけると、菊を引き抜いて地面に横たえた。「三郎!こんなになるまで酔うなんて」。そして着物をかけてやり、子才に見ないように言い含めてその場を離れた。翌朝、見に行ってみると、陶青年は菊畑の中で寝ていた。子才は黄英と 陶青年が菊の精であることを知り、敬愛の念を深めた。この一件以来、陶青年の飲みっぷりはますます度を越していった。いつも 曽生を招いてはともに痛飲した。
花朝の日(注:陰暦の二月十五日。花の咲き始める日といわれる)のことであった。曽生が二人の下男に薬草を浸した白酒を一甕かつがせてやって来た。いつものごとく飲み始めたのだが、甕が空になっても酔う気配がない。そこで、子才の方でこっそり一甕注ぎ足してやると、二人はそれも飲み尽くしてしまった。曽生は酔いつぶれてしまい、下男に背負われて帰って行った。陶青年はと見れば、地面に寝転がって菊になってしまった。子才は事情を飲み込んでいるので、もう驚くこともなく、先に黄英がやったように菊を引き抜くと地面に横たえ、様子を見守った。しばらくすると、葉がだんだんにしおれてきた。何だか様子が変なので、黄英を呼びに行った。黄英は聞くなり、叫んだ。

「弟を殺したのね!」

黄英は枯れてしまった菊の傍らでしばらく泣いていたが、茎の部分を摘んで鉢に挿した。そして、それを自分の部屋に持ち込み、毎日水をそそいだ。子才は後悔するとともに、曽生を恨んだ。数日後、曽生が酔いつぶれたまま意識が戻らず死んだことを知った。鉢に挿した菊は新たに芽を吹いた。九月になると見事な白い花を咲かせた。嗅いでみるとほのかに酒の香りがした。そこで「陶酔」と名づけた。水 の代わりに酒をそそいでやると、ますます生き生きと花開いた。

陶青年と下女の間に生まれた娘は成人してから、名家に嫁いだ。
子才は黄英の正体を一度も見ることがなかった。黄英は普通の人間として年老い、その老後は平安そのものであった。


(清『聊斎志異』)

sptt




 




No comments:

Post a Comment

嬰寧(Yingning)

Vernacular translation (Baide encyclopedia - Google Translation  - Modified by sptt) Wang Zifu is from Luodian, Ju County.   His father ...